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川崎市中原区(4)

北加瀬

川崎市幸区及び中原区にある地域である北加瀬☆地域のほとんどが住宅地ですが、三菱ふそうトラック・バスの工場やJR貨物の新鶴見操車場があります。中原区に編入された部分は現在「西加瀬(にしかせ)」となっています。幸区北加瀬の郵便番号は212-0057、中原区西加瀬の郵便番号は211-0024です☆

北加瀬の加瀬山

加瀬山(標高約35m、一部区域は南加瀬)には夢見ヶ崎動物公園があり、南に三ツ池公園を、北は武蔵小杉方面を望むことが出来ます。なお加瀬山周辺は急傾斜地崩壊危険区域に指定されています☆

住みやすさ抜群!中原区☆

北加瀬の歴史

  • 1889年 橘樹郡北加瀬村が木月村、苅宿村、今井村、市ノ坪村、井田村と合併して住吉村が成立。その大字となりました。
  • 1925年 住吉村が中原町に合併する際に大字北加瀬が切り離され、日吉村に編入しました。
  • 1937年 日吉村が横浜市と川崎市に分割編入され、大字北加瀬は川崎市の大字となりました。
  • 1969年 大字鹿島田・苅宿と共に三菱ふそうトラック・バス(当時三菱重工業)の工場敷地(字鹿島田境の大部分及び字道上・耕地の各一部)を分離して大倉町を設置(1972年中原区に編入)。
  • 1972年4月1日 川崎市が政令指定都市に昇格。大部分は新設された幸区の大字となりましたが、北端部(字原の一部、及び字渋川・苅宿・久保の全域)は中原区に編入され、西加瀬が新設されました。
  • 1990年 住居表示が実施され、実施地域には新たに北加瀬1-3丁目の三町が設置されました。
  • 2007年12月15日:住居表示未実施地域(字山崎・八沼の各一部)が新設された新川崎に編入されました。

北加瀬の地域

  • 北加瀬1丁目:字北ノ根の全域及び字山崎・八沼・熊野台・鹿島田境の一部
  • 北加瀬2丁目:字出口の全域及び熊野台・道上・耕地の各一部
  • 北加瀬3丁目:字耕地・原の各一部

北加瀬の河川

  • 矢上川(鶴見川水系)
  • 渋川

北加瀬の遺跡

加瀬山には夢見ヶ崎古墳群、貝塚などの史跡が何箇所か存在します。

北加瀬の隣接地域

  • 幸区 : 南加瀬、矢上、小倉、新川崎
  • 中原区 : 西加瀬、苅宿、大倉町、木月4丁目
  • 横浜市港北区 : 日吉二丁目 - 矢上川を介しての隣接

北加瀬の学校

  • 川崎市立日吉小学校
  • 川崎市立日吉中学校

北加瀬の交通

鉄道

最寄り駅は新川崎駅。ただし、駅に近い地区と遠い地区にかなりの差があります。

路線バス
  • 川崎市バス、臨港バスが運行されているます。かつては東急バスも運行していましたが、1997年に撤退しました。
  • 臨港バス川53、川54、川60、川61、鶴04、原62、元02、杉51、杉52系統が乗り入れています。
  • 川崎市バス川63、川64、川66、杉03、杉04、川83、川55系統が乗り入れています。
道路
  • 県道14号鶴見溝口線、尻手黒川道路(重複区間)
  • 県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)

木月祗園町

神奈川県川崎市中原区の町名木月祗園町は、2004年(平成16年)10月12日に住居表示が施行されています☆木月祗園町は北端で木月大町と、東端では渋川を境として木月伊勢町と、南端では木月と、西端では井田三舞町に接しています。これらの町域はすべて中原区に属していて、木月祗園町は市境や区境には接していません。中原区の南部に所在し、二ヶ領用水の支流である渋川の右岸に位置します。一帯はおおむね住宅地となっています。郵便番号は211-0033。2011年(平成23年)9月時点での人口は2,181人(1,090世帯)、面積は12.3haで、人口密度は17,704人/km2です。

木月祗園町の歴史

木月祗園町は、大正末期までは水田が広がり、水車小屋があるような農地でした☆木月の一部であった当地は、耕地整理の結果、1940年(昭和15年)に独立した町域として設置されました。当地と隣の井田との間に架かっていた橋から付いた小字名である祇園橋に由来しますが、「祇園橋」そのものの由来は未詳です☆

木月祗園町の沿革

  • 1925年(大正14年) - 現在の川崎市立住吉小学校が現在地に開校しました。
  • 1940年(昭和15年) - 木月から分離されて木月祇園町が成立しました。
  • 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市中原区木月祇園町となりました。
  • 1994年(平成6年) - 川崎市国際交流センターが開設されました。
  • 2004年(平成16年) - 住居表示が施行される。同時に木月祗園町と漢字を変更しました。

木月祗園町の小学校

公立の小中学校の学区は、木月祗園町全域で川崎市立住吉小学校、川崎市立今井中学校です。

木月祗園町の交通

鉄道

当地を通過する鉄道はありません。東急東横線・目黒線の元住吉駅が近隣にあります。

木月祗園町の施設

  • 川崎市国際交流センター
  • 住吉こども文化センター

宮内

川崎市中原区の町名である宮内は、川崎市中原区北部の多摩川下流右岸、多摩川低地の中央部に位置します。北部で高津区下野毛、多摩川越しの北東部に東京都世田谷区野毛・玉堤、東部で等々力、南東部で小杉御殿町、南部及び西部で上小田中、北西部で高津区北見方に接しています☆一部多摩川左岸の河川敷にも領域が及びます。多摩川と二ヶ領用水に挟まれた溝の口デルタにあたります。東西に国道409号及び多摩沿線道路が貫いています。近年再開発が著しい武蔵小杉近辺地域の一角である住宅地が占めますが、二ヶ領用水側及び高津区との区境付近には機械・電機・食品・金属などの中小工場群がみられ、1991年(平成3年)の時点では中原区内で工場数の最も多い町です。

宮内の歴史

宮内の歴史をまとめました☆

近世以前

地内の春日社・常楽寺一帯は前方後円墳であると言われています。室町時代には武蔵国橘樹郡に属し、『小田原衆所領役帳』には後北条氏小机衆曽根外記の所領として「二十貫文 同宮内之郷之内」と記述されています。江戸時代には武蔵国橘樹郡の村となり、天領となりました。村高は『武蔵田園簿』では443石余・『元禄郷帳』では408石・『天保郷帳』では568石余・『旧高旧領取調帳』では570石余となっています。名主は石井家の世襲であり、家の軒数は取り決めで36戸と定められていたが、安永年間よりその定めが破られたとされ、明和7年(1770年)には62軒であったと『橘樹郡案内記』に残されています。江戸時代の主な産品は稲毛米と呼ばれる将軍献上米にも使われた良質な米と花卉が挙げられますが、明和3年(1766年)に池上幸豊の申し出により関東郡代伊奈忠宥によって甘藷の苗が配布されました。多摩川の河岸に位置するため水害に見舞われることも多かったようです。

明治以後

明治元年(1868年)には神奈川府を経て神奈川県の所属となり、1889年(明治22年)、町村制施行により橘樹郡中原村の大字となりました。この時期はゴボウ・大根・葉菜類や柿・桃等の果樹類が換金作物として栽培されていました。この産品はこの時期当地に設置されていた宮内の渡しで運ばれました。宮内の渡しは当地のほか大谷戸(現・上小田中)から東京方面への交通路として利用され、丸子橋が1935年(昭和10年)に建設されるまで利用されました。1925年(大正14年)には橘樹郡中原町の大字、1933年(昭和8年)には川崎市、1974年(昭和47年)には川崎市中原区の大字となっています。昭和40年代から昭和60年代にかけて急激に宅地化が進み、1960年(昭和35年)には597人だった人口が1970年(昭和45年)には2,504人、1991年(平成3年)には9,611人、2008年(平成20年)には11,995人と増加しています。

地名の由来

神社や寺院に囲まれた土地を指す説の外、嵯峨天皇の時代に雨乞のため宮内卿藤原朝臣某を奉幣使としてこの地の春日神社に遣わしたところ、旱魃が止んだためその官職名に由来するとする伝承が『新編武蔵風土記稿』に記されています。

ココがすごいよ!中原区!

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