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川崎市中原区(3)

川崎市中原区(3)

引越し先の川崎市中原区でおうちをどこにするか迷っているので、まとめています(・∀・)

上平間

神奈川県川崎市中原区の町名である上平間は中原区最東端、多摩川とJR南武線に挟まれた地域です。工業地帯と住宅地が混在し、平間銀座商店街として商業地も形成されています。郵便番号は211-0013。

上平間の鉄道

域内に鉄道路線はありませんが、西側を南武線が通過していて、平間駅までは最短で200メートルほどです。

上平間の道路・橋梁

ガス橋 - 多摩川対岸の東京都大田区下丸子とを結びます。

上平間の施設

  • 平間公園 - 敷地面積は 15,690 m2。中央部に川崎市の姉妹都市であるリエカ市(クロアチア)から寄贈された記念彫刻像があり、代表的な樹木であるトチノキがその像を囲み、園内にはプール(平間公園水泳場)も設置されています。
  • 神奈川県立川崎工業高等学校
  • 川崎市立平間小学校
  • 川崎市立平間中学校
  • 川崎市立下河原小学校
  • 平間こども文化センター
  • 平間幼稚園
  • 平間乳児保育園
  • 中原警察署上平間交番
  • 中原消防署玉川出張所
  • 平間浄水場
  • 丸子ポンプ場
  • 河川敷ゲートボール場
  • 西福寺
  • 法田寺
  • 八幡神社
  • 点満天神社

住みやすさ抜群!中原区☆

苅宿

神奈川県川崎市中原区の町名、苅宿(かりやど)は、2009年(平成21年)11月2日に住居表示が施行されています。苅宿は北端で木月住吉町と、北東端で二ヶ領用水を挟んで市ノ坪と、東端で幸区鹿島田と、南端でガス橋通りを挟んで大倉町や幸区新川崎と、南西端で西加瀬や幸区北加瀬と接しています。中原区の南部、二ヶ領用水の右岸に位置しています(´▽`)土地は多摩川の沖積低地で、一帯は住宅地となっているほか、帝国通信工業や中小の工場が立ち並ぶ地帯でもあります。北部を東海道新幹線が、南端を東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過しています。郵便番号は211-0022。2010年の国勢調査時点での面積は27.5 ha、2012年(平成24年)6月30日時点での人口は5,174人(2,576世帯)です☆

苅宿の地名の由来

当地に平将門が宿したことに由来すると伝わりますが、古代の鎌倉道が多摩川と交差する地点にも近いことから、正規の宿場でない宿があった地という見方もあります。いずれにしても、『小田原衆所領役帳』には「借宿」とあり、江戸時代には「苅宿」へと転じています。

苅宿の沿革

  • 1559年(永禄2年)-『小田原衆所領役帳』に「稲毛鹿島田借宿」とある。
  • 1611年(慶長16年)- 二ヶ領用水が開通。当地も潤される。
  • 1628年(寛永5年)- 将軍の御鷹場となる。
  • 明和年間 - 杉田家断絶。天領となる。
  • 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県に属する。
  • 1874年(明治7年)- 大区小区制により、当地は第4大区第7小区に属する。
  • 1889年(明治22年)- 町村制施行により住吉村が成立。苅宿はその大字となる。
  • 1923年(大正12年)- 関東大震災。当地では八幡社だけが崩れ、民家の倒壊はなかった。
  • 1925年(大正14年)- 住吉村の大半と中原村が合併して、中原町を新設。中原町苅宿となる。
  • 1933年(昭和8年)- 中原町が川崎市に編入される。川崎市苅宿となる。
  • 1937年(昭和12年)- 東京航空計器の工場が設置される。
  • 1941年(昭和16年)- 三菱重工・荏原製作所・帝国通信工業・不二越精機・藤井精機などの工場が設置される。
  • 1957年(昭和32年)- 川崎市立苅宿小学校が開校。
  • 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市へ以降。当地は川崎市中原区苅宿となる。鹿島田の一部を編入。
  • 1974年(昭和49年)- 大倉町が成立。当地の一部も同町となる。
  • 2009年(平成21年)- 住居表示が施行される。

苅宿の歴史

苅宿の歴史をまとめました(・∀・)

中世以前

当地には古代に条里制が施行されたと見られていて、また平将門が当地に一泊したという伝承が『新編武蔵風土記稿』に残りますが、当地が文献に登場するのは1559年(永禄2年)の『小田原衆所領役帳』であり、「稲毛鹿島田借宿」とあったことから、当地が鹿島田の一部であり、また「借宿」と表記していたことが読み取れます。

近世

江戸時代の当地は苅宿村として一村となりました。領主は旗本の杉田家でしたが、明和期に杉田家が断絶したことで収公され、天領となり幕末に至っています。村高は、正保年間の『武蔵田園簿』から『元禄郷帳』、『天保郷帳』、幕末の『旧高旧領取調帳』まで200石と一定でした。水利は苅宿の北端で二ヶ領用水から分流していましたが、干害に襲われることもありました。過重な助郷の負担で生活が困窮したこともあり、副業として紙すきが行われていました。古紙を原料としてちり紙を作るもので、最盛期には苅宿の42軒中35軒が手がけていたそうです。

明治以降

明治維新以降、当地は神奈川県に属し、行政上は苅宿村→住吉村→中原町→川崎市と推移していきました。明治中期頃から桃や梨の栽培が行われ、昭和期には野菜栽培も行われましたが、1937年(昭和12年)に東京航空計器が進出して以降、多数の軍需工場が当地に作られ、また川崎大空襲での被害も受けました。工場建設に合わせて住宅も建設されましたが、都心への利便性もあり、1956年(昭和31年)以降に住宅建設が加速していきました。その中には県や市、住宅公社などによるものも含まれ、また小学校も新設されました。結果、当地の農地は他地域より早いうちから姿を消していったのです。

苅宿の交通

鉄道
当地を東海道新幹線が通過するが、駅はない(品川 - 新横浜間)。
道路
当地の南端を、東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過しています。
バス
川崎市交通局と川崎鶴見臨港バスが、武蔵小杉駅や川崎駅などへのバスを運行しています。

苅宿の施設

  • 苅宿商店街・苅宿本通商店街- 地元の人に日用品を売るのが中心。
  • 帝国通信工業
  • 川崎苅宿郵便局
  • 帝国通信工業
  • 川崎市立苅宿小学校

公立の小中学校の学区は、苅宿全域で、川崎市立苅宿小学校、川崎市立住吉中学校となっています。

市ノ坪

市ノ坪は、神奈川県川崎市中原区の大字。2011年11月21日時点で、住居表示は施行されていません。郵便番号は211-0016。面積は全域で45.38 haで、現在の人口は約8,000人です☆

ココがすごいよ!中原区!

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