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川崎市中原区(2)

川崎市中原区(2)

引越し先の川崎市中原区でおうちをどこにするか迷っているので、まとめています(・∀・)

今井上町

今井上町は、神奈川県川崎市中原区の町名です。2012年(平成24年)現在、住居表示は施行されていません。郵便番号は211-0067。面積は全域で15.3 haであり、2012年(平成24年)3月31日時点での人口は3,222人(1,331世帯)、人口密度は21,004人/km2でした。今井上町は西端から北端にかけて上小田中と、東端で二ヶ領用水を挟んで小杉御殿町と、南端で南武線を挟んで今井仲町・今井西町と接しています。これらの町域は中原区に属していて、今井上町は区境や市境と接していません。

今井上町の位置

今井上町は、耕地整理により今井から分立しました。昭和初期までは農地が広がっていましたが、戦時中から工場が当地にも進出してきました。今井上町は川崎市中原区の中央部に位置し、東端を二ヶ領用水が、南端を南武線が通っています。3分の1程度の土地が工場地帯となっていて、住宅は今井神社周囲に集まっていましたが、撤退した工場の跡地にマンションも建てられています。

今井上町の地名の由来

当地が今井の中で二ヶ領用水の上流に位置していて、そこから当地が「上」と通称されていたことによるそうです。

今井上町の施設

  • SUUMO住宅展示場武蔵小杉 - リクルート初の住宅展示場として、2010年9月11日に開設しました。
  • サントリー商品開発センター・研修センター
  • キヤノン小杉事業所
  • 東急テクノシステム 中原工場

今井上町の交通

鉄道

JR南武線が当地の南端を通過しますが、駅はありません(武蔵小杉駅 - 武蔵中原駅間)。

路線バス

東急バス・川崎市バスのうち、武蔵小杉駅を拠点として南武沿線道路を経由するバスが当地を通っています。

道路

南武沿線道路が、南武線のすぐ北側を東西に通過しています。

住みやすさ抜群!中原区☆

上小田中

上小田中は、神奈川県川崎市中原区の町名です(*´∀`*)中原区の北西部に位置し、南武線と二ヶ領用水に挟まれる形で平地が広がっています。中央部にある富士通の工場裏門あたりを境界として、北側に大ヶ谷戸(おおがいと)、南側に神地(ごうじ)という呼び名があり、平成になった今も通称や施設名として残っています。中央部には富士通の工場(登記上の本店所在地)や中原区という名前の由来となった中原街道、そして南武線と中原街道の交点には武蔵中原駅があり、周辺には住宅地が広がるほか、野菜畑なども残っています。上小田中一丁目~七丁目があり、1996年(平成8年)2月13日に住居表示が施行されています。郵便番号は211-0053。2011年(平成23年)6月時点の人口は25,977人(12,163世帯)、面積は1.44km2です。

地名の由来

上小田中の由来は不明ですが、水田地帯であることから「田中」の名が付き、それに接頭辞の「小」が加わったという説もあります。その後、上小田中・下小田中に分かれています。上小田中は北端で高津区の北見方や坂戸と、北東端では二ヶ領用水を挟んで宮内や小杉御殿町と、南端で今井上町や今井西町と、南西端で下小田中や新城中町・新城・上新城と接しています。

上小田中の歴史

中世

「小田中」の名が史料に登場するのは1164年(長寛2年)の「大江某注進状」であり、当地が藤原氏の荘園であったこと、また年貢として八丈絹を納めていたことが読み取れます。小田中が上下に分かれたのは戦国時代頃と見られ、1549年(天文18年)に吉良頼康が泉沢寺を「上小田中宝地」へ移した記録が残りますが、「小田原衆所領役帳」では「小田中」となっています。

江戸時代

江戸時代の上小田中は、大ヶ谷戸と神地の2つに分かれていて、神地は1636年(寛永13年)以降、枝村として一村のような扱いを受けていました。大ヶ谷戸はもともと「大茅野」と呼ばれていましたが、吉良氏の家臣である原氏が、故地の関蝉丸神社を当地に勧請し、同社の鎮座する「大谷」から名付けられたという伝承があります。当地は寛永10年時点では天領でしたが、幕末には一部が旗本領や寺領となっていました。また、村高は正保期の「武蔵田園簿」で823石(別に泉沢寺領が20石)、幕末の「旧高旧領取調帳」では合計844石あまりと、ほぼ一定で推移していました。

明治

明治時代となり、町村制の施行とともに中原村が成立すると、上小田中はその中心地として、村役場や銀行ができるなど栄え、また桃の生産も盛んになりました。昭和に入ると南武鉄道(現・南武線)が開通し武蔵中原駅が設置されたこと、さらには富士通信機(現・富士通)や中島飛行機の工場が設置されたことで当地は大きく姿を変えていき、また軍需産業として空襲を受けることとなりました。

戦後

戦後には中島航空機の跡地に日本鋼管(現・JFE)の社宅が建設されるなどの動きもありましたが、二ヶ領用水の改修に合わせて中小の工場が立地するなど、工業地としての性格も持ち続けています。

上小田中の沿革

  • 1164年(長寛2年) - 「大江某注進状」に「小田中」の名が見える。
  • 1549年(天文18年) - 吉良頼康が泉沢寺を烏山から当地に移す。
  • 1611年(慶長16年) - 小泉次大夫による二ヶ領用水の工事が完成。当地も同用水で潤される。
  • 1636年(寛永13年) - 神地が枝村として一村の扱いを受ける。
  • 1874年(明治7年) - 大区小区制により、当地は第5大区第3小区に属する。
  • 1889年(明治22年) - 町村制の施行により、中原村が成立。当地は中原村大字上小田中となり、中原村役場が設置される。
  • 1897年(明治30年) - 毛織物工場が開業する(関東大震災で閉鎖)。
  • 1898年(明治31年) - 当地に中原銀行が開業(8年後に破産)。
  • 1925年(大正14年) - 中原村と住吉村の大半が合併して、中原町を新設。当地は中原町大字上小田中となった。
  • 1927年(昭和2年) - 南武鉄道が開通し、武蔵中原駅が設置される。
  • 1932年(昭和7年) - 中原町が川崎市に編入される。当地は川崎市上小田中となる。
  • 1938年(昭和13年) - 富士通信機(現・富士通)の工場が開設される。
  • 1945年(昭和20年) - 川崎大空襲による被害を受ける。
  • 1960年(昭和35年) - 中原電車区が開設される。
  • 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行、当地は川崎市中原区上小田中となる。
  • 1979年(昭和54年) - 隣接する上新城・新城中町で住居表示が施行され、上小田中の一部が編入される。
  • 1990年(平成2年) - 南武線が高架化される。
  • 1996年(平成8年) - 当地で住居表示が施行され、上小田中一丁目~七丁目となる。

上小田中の交通

鉄道

JR南武線が上小田中の南西端を通り、武蔵中原駅や中原電車区があります。なお、北方では同線の武蔵新城駅も利用可能です。

バス

鷺沼駅と小杉駅を結ぶバス(東急バス東山田営業所、川崎市バス菅生営業所担当)や、南武沿線道路経由で小杉駅と溝口駅を結ぶバス(川崎市バス上平間営業所担当)、中原駅と小杉駅を等々力緑地経由で結ぶバス(川崎市バス上平間営業所担当)が当地を経由しています。

道路
  • 中原街道(神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線)
  • 南武沿線道路
  • 宮内新横浜線 - 多摩川を越えて、東京都と結ぶ計画があります。

上小田中の寺社

  • 泉沢寺 - 1549年(天文18年)に多摩郡烏山から移されました。
  • 神明社 - 明治32年に、村内の神社を合祀しました。
  • 関神社 - 関蝉丸神社の勧請を受けました。

上小田中の教育機関

  • 川崎市立聾学校
  • 川崎市立大谷戸小学校
  • 太陽第二幼稚園
  • つぼみ幼稚園
  • 上小田中保育所

上小田中の施設

  • 富士通川崎工場富士通川崎工場(登記上本店)
  • 富士通クリニック(2010年に病棟を廃止)
  • 富士通研究所

ココがすごいよ!中原区!

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