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川崎市中原区(1)

川崎市中原区

引越し先の川崎市中原区でおうちをどこにするか迷っているので、調べてみました(・∀・)

井田

まずは井田について調べました♪井田は、神奈川県川崎市中原区の町名。井田は中原区の西南部にあり、矢上川が域内を南東方向へ流れています。井田一丁目から井田三丁目があり、1996年(平成8年)11月18日に住居表示が施行されています。郵便番号は211-0035。面積は全域で66.57haであり、現在の人口は8000人を超えています。「井田」を冠した町(井田中ノ町、井田杉山町、井田三舞町)が井田の近隣にありますが、これらは井田から分離されて設置されました。

井田の特徴

土地利用としては住宅地となっていますが、井田山には雑木林や野菜畑なども残っているほか、神奈川県立中原養護学校や川崎市立井田病院などの福祉施設も立ち並んでいます。井田の南部は区内で唯一の丘陵地帯となっていて「井田山」と通称されます。井田は北端で神奈川県道14号鶴見溝ノ口線(尻手黒川道路)を概ねの境界として井田中ノ町に接し、東端では木月に接しています。南端では横浜市港北区の日吉や下田町に接し、西端では高津区の蟹ケ谷や明津に接しています。

歴史
縄文時代
井田には縄文時代から人が居住していて、祭祀の跡などを含む東神庭遺跡が発掘されていました。平安末期に当地は九条兼実の荘園である稲毛本庄の一部であったと考えられていて、その検注目録に、「井田郷鎮守」の除田が計上されています。戦国時代には北条氏の支配下に入りましたが、徳川家康の江戸入府後には幕府の支配下となり、村の境界も定まりました。
江戸時代初期
江戸時代初期には当地は旗本である八木氏・加藤氏・鈴木氏・高林氏・倉橋氏の五給の地となっていましたが、元禄10年時点では一部が天領となり、残りは加藤氏・鈴木氏・新見氏・倉橋氏の知行となっており、これが幕末まで続きました。石高は、正保年間の「武蔵田園簿」で423石あまり、「元禄郷帳」では446石あまり、「天保郷帳」でが528石あまり、幕末の「旧高旧領取調帳」では541石あまりと推移していました。二ヶ領用水の分流である井田堀が当地を潤していて、農地としては水田が多く陸田は少なかったのですが、柿の栽培も行われていました。
明治以降
明治以降は醤油や素麺の生産、桃の栽培も行われるようになりましたが、当地は農地として推移しました。行政上は町村制の施行に合わせて住吉村が成立し、その後合併で中原町となりましたが、川崎市へと編入されました。また、耕地整理も行われ、井田中ノ町、井田杉山町、井田三舞町の3町が分立しました。矢上川の氾濫も問題となり、改修が行われた堤防に桜が植えられ、「井田堤の桜」として親しまれました。
戦後
戦後は1952年(昭和27年)から分譲が行われて宅地化が進行していき、また井田山には川崎市立井田病院や神奈川県立中原養護学校といった福祉施設や、新日本製鐵の研究所や微生物化学研究会日吉支所といった研究施設が立ち並ぶようになりました。なお、新日鉄の研究所跡地はさくらが丘として宅地化されています。
沿革
  • 1159年(平治元年)- 「稲毛本庄検注目録」に「井田郷」として記録される。
  • 1559年(永禄2年)- 「小田原衆所領役帳」に「小机井田」として残る。
  • 1591年(天正19年)- 村の境界が確定する。
  • 1725年(享保10年)- 川崎宿の定助郷となる。
  • 1734年(享保19年)- 矢上川の堰の改修をめぐり、周辺の村と争論となる。
  • 1765年(明和2年)- 当地に甘藷の苗が配布される。
  • 1846年(弘化3年)- 当地の善教寺が寺子屋を開く。
  • 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川府→神奈川県の所属となる。
  • 1874年(明治7年)- 大区小区制により、当地は第4大区第8小区に属する。
  • 1889年(明治22年)- 町村制施行により、住吉村が成立。井田はその大字となる。
  • 1921年(大正10年)- 一部に電気が通る。
  • 1925年(大正14年)- 中原村と、住吉村の大部分が合併して中原町が成立。
  • 1933年(昭和8年)- 中原町が川崎市に編入される。当地は川崎市井田となる。
  • 1935年(昭和10年)- 矢上川の堤防に桜が植えられる。
  • 1938年(昭和13年)- 耕地整理により、木月や明津と一部で境界を変更。
  • 1939年(昭和14年)- 上水道が開通。
  • 1940年(昭和15年)- 耕地整理により井田中ノ町、井田杉山町、井田三舞町が分立。
  • 1949年(昭和24年)- 川崎市立井田病院が開院。
  • 1969年(昭和44年)- 矢上川の護岸工事に伴い、桜が伐採される。
  • 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市中原区井田となる。
  • 1996年(平成8年)- 住居表示が施行され、川崎市中原区井田一丁目~三丁目となる。
交通
路線バス
隣接する高津区明津に川崎市バス井田営業所があること、また市立井田病院があることもあり、元住吉駅・新城駅・小杉駅・宮前平駅・川崎駅など各方面からバスが運行されています。
道路
神奈川県道14号鶴見溝ノ口線(尻手黒川道路)
施設
  • 神奈川県立中原養護学校
  • 川崎市障害者総合リハビリテーションセンター
  • 中原老人福祉センター(長寿荘)
  • 川崎市立井田病院
  • 川崎赤十字血液センター - 閉鎖。
  • 新日本製鐵研究所 - 跡地は宅地として再開発されている(さくらが丘Issac日吉)。
  • 微生物化学研究会日吉支所
  • 善福寺
学区

公立の小中学校の学区は、井田全域で川崎市立井田小学校、川崎市立井田中学校となっています。

住みやすさ抜群!中原区☆

井田杉山町

神奈川県川崎市中原区の町名2つ目は、井田杉山町(*´∀`*)井田杉山町は、1996年(平成8年)11月18日に住居表示が施行されています☆井田杉山町は東端で井田三舞町と、南端で井田中ノ町と接し、西端ではわずかに高津区明津に接し、西から北にかけて下小田中と接しています。昭和30年代から宅地開発が進んでいき、1985年(昭和60年)頃までは水田も残っていましたが、平成に入ってからそれも宅地へと転じ、わずかに野菜畑を残す程度となっています。バスは川崎鶴見臨港バス(神明町営業所担当)が、当地を経由して武蔵中原駅と新川崎駅を結ぶバスを運行しています。

井田杉山町の地名の由来

井田杉山町の地名の由来は、当地にかつて杉山神社があったことによります。なお、この杉山神社はのちに、井田中ノ町にある井田神社へと合祀されました。中原区の南西部に位置し、一帯は井田へと続く、矢上川沿いの低地となっています。郵便番号は211-0036。面積は全域で19.3haで、現在の人口は約4,000人です☆

井田杉山町の地名の沿革

  • 1909年(明治42年) - 杉山神社が井田神社へ合祀される。
  • 1940年(昭和15年) - 耕地整理により、井田から井田杉山町などが分立。井田字上沼・字下沼・字杉山が井田杉山町となった。
  • 1956年(昭和31年) - 川崎市立井田中学校が開校。
  • 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行する。川崎市中原区井田杉山町となる。
  • 1996年(平成8年) - 住居表示が施行される。

施設

  • 川崎市井田こども文化センター
  • 井田こども文化センター(児童館)
  • 川崎市立井田中学校

ココがすごいよ!中原区!

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